人が自分の事を伝えたくなる方法。

 

人のことについて話すとき、どんな人の話をするのだろうか?

 

面白い人。

好きな人。

苦手な人。

可哀そうな人。

考え方に共感できる人。

話題が豊富な人。

経験値が豊富な人。

有名人。

イラっとした人。

残念な人。

頑張っている人。

 

など他にもたくさんありそうだが、

このような何か人間的に特徴のある人の話を誰かとすると思います。

 

あと、話をする相手によっても

誰のことを話すのかは変わってきます。

 

野球がまだ分からない小さな子供に、イチローのすごさを話したりはしません。

 

初対面の人に対して、自分の嫌いな上司の話はしません。

ある程度、心の距離が近い人になら相談や愚痴という形で話すようになると思います。

 

なので、相手によっても人の話の人選は、

変ってきます。

 

では、自分を周りの人が人に話すとき、どのような話しをしているのだろうか?

なぜ、自分のことを人に話すのだろうか?

そして、人にどんな話をされると嬉しいのだろうか?

 

そんなことを考えた記憶が、僕にはありません。

 

なので、今考えてみます。

 

人が、自分の事を違う誰かに話すとき、

大前提として、僕の事を知っているということと、

あとは、少なからず僕に興味があるということが必要です。

 

人は、興味の全くない人の話はしないと思います。

興味がないということは、つまりその人のことについて

何も知らないということです。

なので、話題にしようにも情報が全くないので、話ができません。

 

では、僕の事を知るためにはどんな情報が必要なのか?

 

①相手から見た、自分の外見。

②年齢、住んでる場所、経歴などのパーソナル情報。

③相手が感じた雰囲気的な印象。

④僕の考え方、思想、価値観など。

 

これらの要素が、僕の情報として認識され

この情報がベースとなり、話す相手によって僕の情報が伝わっていきます。

 

あと、僕の情報の中でも特に印象的なものが、

より人に伝わり易くなると思います。

 

例えば、

僕の中で伝わり易い情報は、過去の経歴です。

スターバックスで働いていたこと、高校時代に野球をしていたということ。

この2つは僕の中で特徴的な情報で、このワードに共通する人物に

僕のことを話してくれたりします。

 

ひとつの結論として、

人に僕のことを伝えてもらう確率を高めるためには、

僕の情報を少しでも多く知ってもらうということです。

 

僕の情報が多ければ、

その情報と共通する人物も多くなるので

必然的に僕のことを話してくれるようになります。

 

しかし、この情報がポジティブなモノであればいいのですが、

ネガティブなものだと、その情報も広まってしまいます。

むしろポジティブな情報よりもはやい速度で広まります。

 

なぜかというと、

人は人の不幸やダメな所を見たり聞いたり、話したりする

ことで自分は大丈夫だと安心するからです。

 

メディアがネガティブなニュースを多く流す理由は、

それだけ視聴率が獲れるからです。

視聴率が獲れるということは、それだけそういったニュースを見ている

人がいるということです。

 

ネガティブな人は、人のネガティブを知ることで安心感を得たいのです。

 

話を戻すと、

自分の事を知ってもらうことを目的とするなら、

良くない情報を相手に伝える方が早いということです。

 

例えば、

人に対する態度が横柄だったり、いつも不満や文句ばかりを言っていたり、

身だしなみが整ってなく、不衛生だったり、なにか事件をおこしたりなど、

 

しかし、僕はこういった形で自分の事を知られたいとは思いません。

 

できることなら、自分の良い情報が人に伝わる方が嬉しいです。

 

ではどうすれば、自分の良い情報が人に伝わるのでしょうか?

 

それは、返報性の法則を活用する事です。

 

人は、親切にされたり何かを貰ったりすると、

その人に何かお返しをしたいと思います。

 

日本人は特に、そういった気持ちの強い民族だと思います。

 

この法則にしたがい、人に喜んでもらえる何かを提供することで、

その人も、何かお返しをしたいというふうに思います。

 

そして人に話したくなる時は、特に有形の物よりも無形の物の方が効果的です。

有形の物は、同じように有形の物を相手に返すことができますが、

無形の物は、同じものを返すことができません。

 

無形の物とは何かというと、

「感動」「美味しい」「楽しい」「面白い」「驚き」「喜び」などの

感情が動いた体験のことです。

 

映画を観て感動した時、自分も同じように映画を作り、この映画を作ってくれた人に

同じような感動を与えたいとは思いません。

 

映画を観て感動した時、殆どの人は、

その映画の素晴らしさを違う誰かに話します。

 

無形の物の場合は、直接その人に貰ったものを返すのではなく

違う誰かに、自分の味わった感情を伝えてくれるのです。

 

これが、人から人に情報が伝わる方法です。

 

要するに、相手の感情を動かす様な体験を与えることで、

その人が、自分の事を違う誰かに伝えてくれるようになるのです。

 

普段から、人に無形の物を提供する意識を持つことで

自然と自分の存在が知らない誰かに広がっていくと僕は思います。

自分の本当に望む姿とは、

 

自分自身がどんな人間になりたいのか?

自分は何者になりたいのか?

 

こういうことを考える時間を意識的に持っている人は、

比較的少ないように思う。

 

今の時代、SNSの普及により、自分の事を考える時間より

他人の人生を無駄に干渉している時間の方が、

圧倒的に多いように思う。

 

そして、人からの”いいね”という承認をもらうため、

同じように自分の日常や思ったことをSNS上で表現している。

 

これが、他者や社会に対していい影響を与えるための発信ならば理解はできるが、

内容が人からの承認を求めるようなものであるのなら、

僕は、理解がしがたい。

 

例えば、

芸能人だったり、有名人になることが夢でSNS上に自分いう人間がどんな

人間かを表現しているのなら、意味のある投稿だと思うのだが、

何の目的や脈絡もなく、ただ他人からの”いいね”を求め、承認欲求を他人に満たしてもらおうとしている人は、

自分の人生の価値や評価を他人に依存してしまっているのではないかと、

僕は感じる。

こういった人はスマホ依存度が高く、ある意味中毒症状のようなものである。

 

スマホに依存し、暇さえあればSNSのチェックをしている人は、

自分の大切な大切な人生の時間を無駄にしているようにも

僕は思う。

 

自分の人生は、自分でしか生きられないという

当たり前のことから目を背け、

人に自分の人生の価値を委ねてしまっているようにも僕は思う。

 

はたしてそれで、生きていて本当に楽しいのだろうか?

と思うことがある。

 

人からの評価で一喜一憂しながら生きていくことで、

一体何が自分の人生に残るのだろうか?

僕には分からない。

 

自分の本当に望む姿とはなんなのだろうか?

 

僕自身それについて考えてみた。

 

・常に未来に対してワクワクし、今を楽しんでいる。

・人に喜びや感動を与えることができている存在。

・どんな人にでも尊敬できる部分を見出し、他者から学ぶ姿勢を大切にしている。

・相手がどんな人でも、自分のお客様だと思いその人の為に何かできないかを考える。

・自分の行動には、意思と責任を持つ。

・日常の当たり前のことの中に幸せを見つけ、感謝の気持ちを感じる。

・自分の成長に対して、日々改良と改善を施す。

今の僕は、自分の望む姿をこのように設定していると思う。

 

この望む姿の設定に対し、

普段の自分の行動や発言を振り返り反省をする。

 

そうすることで、日常の自分と向き合う時間が増え、

他者への無駄な干渉の時間は減る。

そして、自分の生き方を自分で決め、他者からの評価や承認をそれほど

必要とすることなく生きていけるようになると僕は思います。

 

この設定している望む姿の自分が、無意識で表現できるようになった時、

自分の人生においての幸福度や充実度が大幅に上昇しているように

思います。

 

自分の望む姿を明確に設定し,

自分の日常を惰性ではなく、意識的に生きることができると

自分の人生の価値は飛躍的に高まるように僕は思います。

人生の価値を高める方法

 

人の人生価値とは貨幣換算することができないものである。

だから、自分の人生の価値はどのくらいあるのか分かりにくいと思います。

 

 

僕は、人生の価値とは、人が決めたり、世の中の基準で計るものではなく、

自分の思い込みによって決めるものだと思っています。

 

「自分の人生には価値がある」そう思い込めれば、

自分自身に満足することができ、

毎日が充実感に満ちた幸せな人生になると思います。

 

しかし、自分自身に、そして自分の人生には価値が無いと思えば、

自分の存在や自分の人生の意味を見失い、

生きるのが辛くなると思います。

 

 

人生の価値を決める思い込みとは何かというと、物事の捉え方です。

 

物事に必ず二面性があり、「メリット」と「デメリット」、「ポジティブ」と「ネガティブ」が存在しています。

 

自分の人生の価値を高めるためには、この二面性を認識することでです。

 

自分の人生の価値は高いと思い込んでる人は、

物事の二面性を両面とも把握することができており、

尚且つ、メリットの方を優先的に捉えるようにしていると思います。

俗にいう、楽観的な人の事です。

 

一方で、自分の人生に価値がないと捉えがちな人は、

二面性を捉えることが上手くできず、

デメリットの方を選択してしまう人の事です。

俗にいう、悲観的な人です。

 

例えば、お財布を無くしたという出来事が起きた時、殆どの人は

喜んだりはしないだろうと思います。

むしろ焦ったり、落ち込んだり、苛立ったりすると思います。

 

なぜなら、お財布を失うという出来事は、自分の所有物を失うということであり、

自分の所有物は日常生活において、あって当たり前の物です。

そのあって当たり前の物が、急に無くなると、

その後の日常が大きく変化してしまうという恐れが生じ、

ネガティブな気持ちに襲われます。

 

人は、基本的に変化を嫌う生き物です。

 

なので、当たり前にある日常のものが無くなるという出来事は、

日常が変わってしまう原因になる為、恐れや不安といった感情を抱きやすくなります。

 

その反面、お財布を落としてしまった事のメリットを考えてみると。

 

・自分自身の物の扱い方に対して振り返る機会になる。

・持ち物の量に関して見直す機会になる。

・貴重品の管理の意識が高まる。

・お財布を無くすことで発生するデメリットを知ることができる。

・お財布を無くしたのは、自己責任なので自分への責任感が強まる。

・どのような状況で物を失くしてしまうかを知ることができる。

 

他にもまだありそうだが、お財布を無くすという出来事のお陰で、

今までになかった、自分自身の行動の変化や、自分自身を振り返る機会、

そして、自分の管理能力や責任能力といった部分を見直す機会になる。

 

お財布を無くすということの、精神的ストレスと物理的労力は、

非常に大きいものがあるが、ネガティブな側面にばかりにフォーカスしてしまうと

この体験から得られるものは少ないように思うが、

そのネガティブな感情を一旦静止させ、ポジティブな側面に目を向けることで

この体験から多くの気付きや、学びを得る事ができ、

それが、結果的にその後の人生で、自分を救ってくれる経験になるのである。

 

人生の価値を高めるには、

ネガティブな体験をした時、ポジティブな側面を見るようにすることです。

逆に、ポジティブな体験をした時にネガティブな側面を考えることも有効的です。

 

自分の人生の価値は、自分で決めれます。

自分が、価値がある人生だと思い込めば、人の人生は価値ある人生になります。

 

一方、自分はツイてない、

自分の人生は価値が無いんだと思い込んでしまうと、

その人の人生の価値は下がってしまい、自分のこと、人のこと、世の中のこと

そして生きていくことが嫌になる出来事が、次々に起こり始めます。

 

自分の見えているこの世界は、すべて自分の思い込みによって創られています。

その思い込みが、変れば見えている世界は一気に様変わりします。

 

なので、自分の人生の価値は、自分で決めることができるのです。

 

人に変化を与えたければ、いい気持ちにさせればいい。

 

人を変えたい、人に変わって欲しい。

 

僕は、そう考えることがよくある。

 

人が自分の思い通りに動いてくれたり、

言ったことをその通りにやってくれたり、

すべての人が自分の考えや価値観に理解、共感を示してくれたなら

人間関係で悩むことは一切なくなるだろう。

 

しかし、このような状況は、

個人が尊重されている現代社会においては、不可能に近い。

 

奴隷制度のあった時代なら、

王や権力者にでもなれば可能であったと思う。

 

人を変えたい、人に変わって欲しいと思うだけでは

人は変わらない。

かといって、人を無理やりに変えようとしても

なかなかそうはいかない。

むしろ、無理やりに変えようとすると相手は抵抗し、

関係は劣悪になる。

 

パワープレイで人を変えるには、

恐怖や不安で相手の心を支配するしかない。

 

この方法で、人を自分の思い通りに操ろうとする人は、

今でも一定数存在する。

 

しかし、この方法は正しいやり方ではないし、

この関係性には、いつか限界がくる。

 

僕の考える正しい人の変え方とは、

相手を気持ちよくさせることである

 

童話の北風と太陽のように。

 

あるとき、さむい北風と、あたたかな太陽とが、たがいに力自慢を始めました。

どちらも、どちらも自分の方が偉いと言い張って、いつまでたっても、

はてしがありません。

すると太陽が、下の野原を通っている旅人を見つけて、

「それじゃ北風さん、ひとつ、あの旅人の着ている上着をどっちが早く脱がすか

試してみようではありませんか。まず君からやってみたまえ」

そこで北風は、旅人めがけてありったけの力でひゅうひゅう吹きまくりました。

 

ところが旅人は、上着を脱ぐどころかしっかりと両手で押さえてしまいました。

太陽はそれを見ると、雲の間から顔を出して、あたたかい光を一面に注ぎました。

 

すると旅人は、急にあたたかくなったので、ほっとしたように上着を脱ぎました。

 

北風は「負けた、負けた」といって遠くに逃げていきました。

 

このお話での教訓は、

北風のように力ずくで相手を思い通りにしようとしても、その通りにはならないが、

太陽のように相手を気持ちよくさせれば、

自分の思い通りになってくれるということです。

 

このお話でのポイントはもう一つあって、

それは、旅人の上着を逃がせる順番です。

 

太陽は、先に北風に試すよう促しました。

そして北風は失敗に終わりました。

 

この時の旅人の心境からすると、突然の突風に対し、

危機感や緊張感やあと不安な気持ちを感じたのではないかと思います。

 

その後、突風がおさまったあと、太陽がでてきたことで

緊張の糸が解け、旅人は大きな安心感を感じたように思います。

 

旅人の上着が、人の心だとすると、

人は安心感を感じた時に、心を開きやすくなるということです。

 

逆に相手に対して、緊張感や不安感を感じた時、

旅人の上着のように、人は心を閉ざしてしまいます。

 

人の心を掴み動かすためには、まず心を開いてもらう事です。

そのためには相手に安心感を与え、気持ちよくさせる事です。

 

相手が気持ちよくなるポイントは

「承認」「共感」「期待」「感謝」です。

 

これらを言葉にして、相手にプレゼントすると

相手は喜んで受け取ってくれます。

 

そしてあなたに安心感を抱き、心を開いてくれると思います。

 

 

 

持たなくていい変なプライドを捨てる方法

 

自分を大きく見せようとする変なプライドは捨てたほうがいい。

変なプライドを持って生きる人生は、とても生きずらい様に思います。

 

そして

この変なプライドを持ち続けてしまうことで、

人は成長できなくなってしまう。

むしろ退化していってしまう。

 

変なプライドを持ってしまっている人の特徴

 

①人の意見に対してすぐに反論する。

②自分の意見が認められないと文句を言う。

③人に対して上からモノを言う。

④自分のやり方と違うやり方をしている人を批判する。

⑤変化を嫌う。

⑥自慢話が多く人の話には耳を傾けない。

 

変なプライドを持っている人は、基本的に人の考えや価値観を受け入れません。

それなのに、自分の考えや価値観は人に押し付け

それを受け入れない人に対しては、敵視します。

 

なぜ変なプライドを持っている人は、

それを手放すことができないのでしょうか?

 

そもそも、なぜ変なプライドを持つようになったのでしょうか?

 

変なプライドを持っている自分とは、かりそめの姿でです。

かりそめの自分でいる事で、本来の自分を隠しているのです。

 

なぜ隠す必要があるのかというと、

本来の自分に自信が持てていないからだと思います。

もしも、自信のない本来の自分が表に出てしまうと

人からなんて思われるのかが怖いのだと思います。

 

そういった人に対する恐怖心から、本来の自分を守る為

変なプライドを持った自分を演じ、人から攻撃されないように守っているのです。

 

なぜ変なプライドを持つようになってしまったのか?

 

それは、過去の経験に原因があります。

 

いじめや虐待、人からの批判、失敗の体験など

本来の自分の時に経験した負の記憶が、本来の自分から自信を奪い、

そのままの自分だと生きるのが辛くなると思い、かりそめの姿になることを選択し、

自信のない自分を守る為、攻撃的な自分を演じているのだと思います。

 

人は本来の自分、ありのままの姿を表現しないと

成長する事は難しいのではないかと僕は思います。

 

かりそめの自分とは、嘘の自分です。

嘘の自分はどこまで行っても嘘のままです。

 

人としての成長の目的は、幸せになることです。

 

人は幸せを与えるために成長し、

多くの幸せを感じるために生きています。

 

嘘の自分では、本当の幸せを感じる事はできないと僕は思います。

 

偽りの自分で感じる幸せは、偽りの幸せでしかありません。

果たして偽りの幸せを感じながら一生を終えたところで、

自分の人生は、本当に幸せだったと心から思う事ができるのでしょうか。

 

それは、自分の人生が終わるその瞬間になってみないと分かりませんが

なんとなく後悔しそうな気がします。

 

では、どうすれば変なプライドを捨て、

本来の自分を取り戻すことができるのか?

 

それは、本来の自分の姿を受け入れてくれる人を見つけ

素直に自分の事を話すことです。

 

そして、偽りの自分でいる時間よりも、本来の自分でいる時間を

少しずつ増やしていきます。

そうすることで、変なプライドを持った自分を少しずつ手放すことができ

そして、本来の自分に戻ることができます。

 

本来の自分を取り戻すためには、人の力が必要です。

 

本当に変わりたいと思うなら、まずは信頼できる人を見つけることです。

 

その信頼できる人とは、

 

・自分を否定したり非難したりしない人。

・偽りの自分ではなく、本来の自分の姿を見てくれる人。

・心から尊敬できる人。

 

このような人の力を借り、

本来の自分をことを素直に話すことによって、

本来の自分が受け入れられ、そして解放されます。

 

変なプライドを持ってしまうと、人の力を借りにくくなります。

という事は、自分ひとりの力で生きていこうとするのです。

そうなると、自分が困った時や助けて欲しい時、人にお願いしにくくなります。

 

今の世の中、非常に便利になり、

ひとりで生きていくことも可能です。

 

しかし、ひとりで生きていったとしても

本当の幸せに辿り着く事は難しいように思います。

 

人の生きる目的は、幸せになるという事である以上

ひとりで生きるという選択はナンセンスです。

 

人に喜びを与え、その喜びを分かち合い

多くの人に広げていくことで、幸せの輪が広がっていきます。

この幸せの輪を広げていく人生こそが、本当の幸せなのではないかと

僕は思います。

 

変なプライドを捨てない限り、

本当の幸せを手にすることはできないと、僕は思います。

 

自分が持っている欠点が、成長の機会点となる件。

 

「あなたの強みは何ですか?」

 

僕はこの質問自体に意味はないと思っています。

なぜなら、殆どの人が自分の強みを正しく認識していないからです。

 

そして強みという定義自体が曖昧で

何をもって強みというのかは、

人によって違ったりもします。

 

僕の思う強みの定義は、

社会や組織、人に対して良い影響を与えるものだと思っています。

 

社会や組織、そして人に対して良い影響を与えたいと思って

日頃から自分のできる事は何かを常に考えていなければ、

自分の強みに気付く事は難しいように思います。

 

そして、自分の強みに気付くためには、

毎日、自分と向き合う時間を作る必要があります。

 

1日の最後に、その日の自分の行動を振り返る。

その日、どんなことを経験し、その経験から何を学んだのかを記録する。

そして、その経験を通じて感じた事は何か、考えた事は何かを振り返る。

自分の内面を見つめる時間を毎日持つ事で、自分自身への理解度は高まると思います。

 

自分の認識している自分と他者が認識している自分には乖離がある

 

僕自身が認識している自分の姿と

他者が認識している自分は違っていました。

 

僕が働いてる姿や仕事に対する姿勢を他人が見た時、

「真面目」や「誠実」

といった印象を持ってもらえます。

 

しかし僕は、仕事を真面目にしようしているつもりはないし、

誠実な対応をしなければと考えながら

仕事をしていません。

むしろ、もっと真面目に頑張ろう!

何事にもおいても誠実に対応できる人間になろう!といった

気持ちの方が大きく、そんな人間になれている実感はありませんでした。

 

むしろ、「真面目」「誠実」という側面は、

自分には欠けていると思っていた要素だったので、

人からそう言われた時、とても意外でした。

 

なので、自分の認識している自分と他者が認識している自分には乖離があり

自分では欠点だと思っている要素でも

他者から見て、自分の良い側面として見えている事があるようです。

それだけ人は、自分のことを自分ではあまり理解できていないように思います。

 

 

特に自分の強みに関しては、理解できていないように思います。

 

人は自分の強みを発揮している状態の時は、無意識状態に近く

強みを発揮しているという自覚は薄いように思います。

 

なので、自分では気付きにくいのだと思います。

 

逆に、自分の弱みには気付きやすいように思います。

なぜかというと、弱みの部分は意識的にしないと上手くできないからです。

 

人前で話すのが苦手な人は、いざ人前で話すとなると

上手く話そうと意識したり、自分の話が聞き手にちゃんと届いているかを

確認するため相手の表情やしぐさを意識的に観察したりします。

 

そして人は、苦手なことをしている時、

ネガティブな情報をキャッチしやすくなり

そのせいで、苦手という思い込みが加速してしまいます。

 

例えば、人前で話すのが苦手な人は、

聞き手の表情が少しでも曇った時、

「変なことを言ってしまったかな」、「間違ったことを言ったかな」

とその人の表情の変化が気になり自分の話に集中できなくなります。

 

他にも、寝ている人や無表情の人、相槌がない人などいると

「自分の話の内容がつまらないのかな」などという思い込みを勝手にしてしまい

より一層、人前で話すという事に

苦手意識を持つようになってしまします。

 

こういった体験をすることで、

弱み(苦手)がさらに強化され

自分の弱みだと自覚しやすくなります。

 

自分の弱みの裏側には、自分の強みが隠れている。

実は、強みというのは弱みと表裏一体になっており、

弱みがあるという事は、その裏側には強みが隠れているという事である。

 

人前で話すのが苦手な人は、

話しをするのが苦手なわけではありません。

 

「多くの人の前で」というのがネックになっていると思います。

 

そしてもう一つの弱みと感じさせている要素は、

人の感情の変化に敏感という事です。

 

人の感情の変化に敏感な人は、多くの人前で話すとき、

聞き手の表情の変化を観察しながら話します。

 

そして、表情の変化と共に人の感情の動きを敏感に察します。

 

なので、聞き手のリアクションが大きかったり、相槌が頻繁にあったり

終始温かい表情だったりポジティブな反応だと安心して話すことができます。

 

しかし、それとは真逆で、リアクションが全くなく、相槌もなし、そして無表情だと

不安な気持ちが大きくなり、話すことができなくなってしまいます。

 

なので、人前で話すのが苦手な人とは、人の感情の動きに敏感な人であり

人の感情に自分の感情も動かされてしまうという事です。

そして、その人数が多い程、多くの感情の変化に自分の感情を動かされ、

そして自分の感情の変化に、

自分がついていけなくなりキャパオーバーになってしまうのです。

 

結果、自分のすべき話に集中できなくなり、

人前で話すことへの恐怖を自分で植え付けてしまいます。

 

人の感情に敏感な人の強みとは?

 

人の感情の動きに敏感な人は、

人の感情がどのような時に動くのかを感覚的に知っています。

 

こういった人は、人の感情に流されやすい反面、

人の感情を動かすことができる人です。

 

人の感情を動かすことの出来る人とは、

すなわち、人に感動を与える事ができる人だと言えます。

 

なぜ人に感動を与える事ができるかというと

人の感情の動きを感知できる人は、自分の感情の動きも感知できるからです。

 

そして、人に感動を与えるためには、

自分が感動する事です。

感動は人に伝染します。

 

感動とは、感情がプラスの方向に動く事です。

 

なので、自分の感情がプラスに動くことを、自分なりに表現すれば

人に感動を与える事ができます。

 

なので、人の感情に敏感な人は、

自分の感情のプラスの動きを感知することができるので、

それを感知できるモノやコトが、その人が人に感動を与えられることの出来る

要素だといい事です。

 

人前で話すのが苦手な人も、

自分が好きな話題やテーマだったらワクワクして話すことができるので

人前で話すのが苦手という思い込みは無くなります。

 

自分の感情がプラスに動くことに素直に従い行動することで

人に感動を与えることができるようになります。

 

なので、自分で自覚できている欠点や弱みがある人は

自分の強みを発見するチャンスだと思います。

 

まずは、強みを見つけようとするのではなく、

自分の弱みにフォーカスすることが成長の機会点になると僕は思います。

 

仲間を作る方法

 

仲間には、色々な種類があると思います。

 

「趣味を共にする仲間」

「仕事で同じプロジェクトを推進する仲間」

「サークルの仲間」

「アルバイトの仲間」

 

仲間とは、一緒に物事をする間柄や地位、職業などの同じ人々のこと。

 

そしてひとつ言える事は、

どんな形の仲間にも必ず「共通認識」があるという事です。

 

趣味だと、釣りや車、鉄道やアニメなど、ジャンルという共通認識があり、

 

仕事でいうと、会社のビジョンだったり目的や目標、規則が共通認識となり

仲間を形成します。

 

サークルも同じで、どんな活動をしているかが共通認識になります。

 

仲間を作るには、まず共通認識を持つ事が必要となります。

 

お酒が好きな人は、お酒好きと仲間になりやすいです。

プロ野球阪神タイガースが好きな人は、阪神ファンと仲間になれます。

 

そして、もっと世界を広げてみると、

遠い異国の地スウェーデンの道端で、

もし日本人にばったり出会うと、見ず知らずの人でも

お互いに日本人という共通認識だけであいさつし会話が生れ、

仲良くなれたりします。

 

自国の日本で同じようなケースで

日本人同士が仲良くなることはありません。

 

なぜかというと、

異国の地スウェーデンだと大半の人がスウェーデン人であり、

日本人自体が圧倒的に少ないからです。

 

そのため、同じ日本人という認識の希少性が高く、

お互いが共感性を感じやすくなるからだと思います。

 

ということは、

人と仲良くなり、お互いに仲間だと認識するような関係になるには

お互いの希少性の高い共通認識を見つける事が重要という事です。

 

その共通認識の中でも、僕が重要だと思うものは、

ネガティブ要素の共通認識を持つ事です。

 

なぜかというと、

少ない認識ほど共感性を生みやすいからです。

 

例えば、ハンバーグを好きな人は沢山いますが、

ハンバーグを嫌いな人には、あまり遭遇しません。

 

もし、ハンバーグが嫌いで同じハンバーグ嫌いという人と出会ったなら

その人はハンバーグ嫌いの自分にとって

とても希少性の高い人なので、一瞬で親近感を持てます。

人によっては、それだけでこの人は自分と同じ性質を持っているとまで思うでしょう。

 

なので、自分の中のネガティブ要素で、かつ希少性の高そうなものを

共通認識として持つ事ができれば、相手との距離は一気に縮まります。

 

もう一つは、

人は好きなモノ、好きな事、好きな人は変わりやすいが、

嫌いなモノ、苦手な事、嫌いな人はあまり変わる事はないと思います。

 

僕自身、牡蠣が食べれませんが、今後食べられるようになる確率は極めて低いです。

なので牡蠣嫌いという、自分の認識は変わる事がありません。

 

しかし、好きな食べ物でいうと沢山ありすぎて、ひとつに絞れませんし、

年齢とともに変化していきます。

 

高校まで野球が好きで、ずっとしていましたが、今はしていません。

 

なので好きなモノやコトは、時間や年齢、環境と共に変化します。

という事は、好きなモノやコトは、変化しやすく共通認識としては固定化しにくいと言えます。

 

しかし、苦手なモノやコト、人は本人が努力しない限り変える事は難しいと思います。

お化けが怖い人はずっと怖いですし、ゴキブリで驚く人は、毎回驚きます(僕です)。

 

ネガティブ要素の自己認識は普遍的なものであり、

生涯変わる事はあまりないように思います。

 

なので、お互いに共通認識を確認する作業をする時、

好きなモノやコトの共通項だけを確認するのではなく、

嫌いなモノ、苦手な事、あるいは苦労した体験や失敗談など。

 

ネガティブ要素を開示し合い、その中で共通認識を持てると

お互いの仲間意識は強固なものになると思います。

 

今の時代、本音を出さない日本人が多いように思います。

それは、自分への自信の無さなのか、

それとも、自分の人生を諦めてしまっているのか。

 

自分の本音で生きる人生ほど素晴らしいものはない

と僕は思います。

 

その為には、

自分の本音、本心を思いっきり言える仲間を

沢山作る事が大切ではないのかと思います。

 

そんな自分の本音を受け止め承認してくれる、仲間をひとりでも多く作ることが

人生を豊かにする方法のひとつだと僕は思います。