感謝することとは。

Blog始めて11日目。

 

ここまで10日連続、記事を更新することができている。

これがどこまで更新していけるかは未知数だが、できる限り続けていくつもりではある。

まずは、記事数2桁まで到達できた自分を褒めたいと思う。

 

今日は感謝をすることについて、僕の考えを書いて見たいと思います。

 

簡単でいつも出来ているように思えるけれど、実は不足しがちな心の在り方だと思います。

僕自身もよく、感謝の気持ちが足りていないなと思ってしまうことがある。

感謝の気持ちは目に見えないし、計ることができない感覚的なものだが、なぜか足りていないと思ってしまう。

 

感謝には、人類共通の尺度はなく、ひとり一人の中に感謝の物差しがあります。

 

何か物を貰った時(誕生日プレゼント、お年玉)、自分のために何かしてくれた時(席を譲ってくれた、仕事を手伝ってくれた)、自分が得をした時(景品が当たった、値引きサービス)など、これらの感謝は多くの人が日常的に出来ている感謝です。

 

そしてもう一つの感謝は、僕たちが当たり前と感じていて意識しないと気づけないことやものに対する感謝の気持ちです。

例えば、わたしたちが生きていく上で必要不可欠な空気が豊富にある事、いつも安心安全な水が当たり前のように蛇口から出てくる事、生活において大変便利な家電製品を動かす電気を生産、供給してくれている事など、衣食住に不自由することのない生きていく上での安心と安全が当たり前のようにあるこの日本はとても恵まれていると思います。

がしかし、恵まれすぎた事により本当に大切にしないといけない感謝の気持ちが薄れてきている気がします。

 

感謝の気持ちに良いも悪いもないのですが、当たり前のことやものに対する感謝の気持ちを持つという事は、不平不満の気持ちを捨てるという事でもあります。

今の日本人は、世界の他の国と比べても、生活水準はとても高く、日々身の安全を脅かすような脅威と隣り合わせの生活をしていません。

世界中には、毎日死と隣り合わせの生活をしている人々、満足な医療や教育を受けれない人々、自分の家がない人や食べるものがない人が大勢います。

 

そんな不自由な人達が、日本の生活を知るとすべての事に驚き感謝で気持ちで満ち溢れ

ると思います。

食べれることへの感謝。住むことへの感謝。安心して寝れることへの感謝。

僕たちが、本当に持たないといけない感謝の気持ちは、こういった当たり前に享受している日常に感謝することです。

 

僕は、時々この気持ちを思い出し、まだまだ感謝の気持ちが不足しているなと実感しますし、この記事を書きながらまだまだ感謝の本質を捉えることが出来ていないなと思います。

感謝の気持ちが自然と湧いてくるその日まで、僕は感謝についてもっと深く考えていきたいと思いますし、きっとその答えはとてもシンプルなものなんだろうなと思います。

 

感謝の本質を捉えられるようになった時、人としてのステージがひとつ上にあがる気がしています。

これからも、自分が当たり前と感じている事に意識を向け、その当たり前にあることやもののお陰で自分は生かされていることを実感しながら日々の生活を送っていきたいと思います。