信頼できる人がいなければ、人としての大きな成長を遂げる事はできない。
毎日Blog、44記事目の更新。
人は、一生のうちにどれくらいの人と出会うのだろうか?
世界の人口74憶人の中で、偶然出会い、信頼関係を築き、深くつながりを持てる人は、ほんの一握りであり、奇跡に近い確率だと思う。
僕は、今までにどれくらいの人と出会ってきたのか見当もつかないが、信頼関係を結べた人の事はハッキリと覚えている。
そして、その人たちの存在があったから、今の自分があり、自分の成長に大きな影響を与えてくれたことは、言うまでもない事実である。
人は、人の存在があることで自分の存在価値を認識し、自分の居場所を見出し、その中で自分らしさを表現するために成長していく。
もし、自分の周りに人が存在せず、自分ひとりしか居ない世界だったら、果たして成長したいという意欲は芽生えるのだろうか?
そもそも、人の成長の定義とはなんだろうか?
僕は、人の成長に明確な答えは必要ないと思っている。
自分が成長していると実感できれば、それでいいと思うし、自分の成長の定義は、自分で決めなければならないとも思う。
できなかった事ができるようになった。
知らなかった事を知ることができた。
緊張していた状況でも緊張しなくなった。
苦手な食べ物が食べれるようになった。
過去の自分と今の自分を比較し、自分が変われていると感じる部分を見つけ、今の自分に少しでも自信を持てたのなら、それは成長と呼んでもいいのではないだろうか。
この成長した実感は、自分の物差しで計ればいい。
僕は、人間の成長には大きく2種類あると考え、技術的成長と精神的成長である。
技術的成長とは、個人の能力や技術を磨き、それができるようになることで実感できる成長のこと。
他の人の存在を介さなくても、自分ひとりで成長することができる領域の事である。
例えば、料理が上手くなることやダンスが上達すること、英語が話せるようになることなど。
個人でもその能力を高めることができるが、技術的成長です。
それともう一つの精神的成長は、人との関りの中でしか実感できない成長である。
例えば、穏やかな自分になりたいと望むなら、その穏やかな自分を表現するための対象が必要になる。
その対象が、人である。
もし、その対象が無機質なものだと、自分の届けたい感情に対しての反応がない。
例えば、テーブルに向って穏やかな自分を表現したところで、リアクションが無いので、穏やかな自分になれているかどうか実感を持ちにくい。
もし、対象が動物だとしたら、穏やかな自分に対する何らかのリアクションがあるかもしれないが、言葉が通じないのでそのリアクションの意図が分からない。
なので、自分の精神的成長を望み、それを磨いていくためには必然的に人と向き合う必要があり、人と向き合うプロセスの中で、自分の精神性は磨かれ、人としての魅力を高めていくことができるのである。
そして、向き合う相手との信頼関係の深さも、自分の精神的成長に大きく影響するのである。
自分の心を磨くためには、心の荒い部分をさらけだし、その部分を傷つけてもらう事で荒さが削られ、その部分が徐々に磨かれていくのである。
心の荒い部分を削る作業とは、信頼のおける相手との対話である。
時には、傷つけ合うこともあるが、それはお互いの事を思っての事であるし、その傷つけ削った部分を丁寧に磨く事によって、その部分が輝きを持ち、人の魅力へと変わっていくのである。
自分を輝かせるためには、自分の心の荒い部分を削ってくれる人。そしてそれを丁寧に磨いてくれる人が必要である。
なので、人はひとりでは精神的成長はできないのである。
それと、技術的成長の目的には人が関わってくるので、自分を成長させるためには、どちらにせよ、自分以外の人の存在が必要不可欠である。
まずは信頼できる人をつくること。これが成長を遂げ、成長を実感するために必要な第一歩である。