自分の思考は忘れた頃に現実化する。

 

毎日Blog、46記事目の更新。

 

僕は、高校時代3年間、甲子園を目指す高校球児でした。

 

もしも、今の自分でもう一度3年間野球をしたなら、結果は変わっていたであろう。

 

この3年間で僕は、ベンチ入りの18人には選ばれたもののレギュラーを勝ち取る事はできず、甲子園に向けた最後の県大会で出場のないまま1回戦で敗退。

3年間の高校野球生活が幕を閉じた。

 

僕の中学時代の夢は、プロ野球選手になる事だった。

 

その時の僕の見えていた世界は、とても狭くそのお陰で、大きな夢を見る事が出来ていた。

進学する高校も、野球の強豪校に行くことは前から決めていた。

しかし中学時代は、学力が低く、なおかつ欠席が、中学3年間で夏休み1回分くらいあったので、内申書もあまりいいものではなく、僕の実力で行ける高校は絞られていた。

 

そして、なんとか進学できた野球の名門校である倉敷商業高校で、3年間野球漬けの毎日を送ることになる。

 

入学早々、僕はすぐに自分の夢を大きく下方修正した。

プロ野球選手になるという夢から、この高校でレギュラーになるという夢にスケールダウンさせたのである。

なぜなら、高校には、岡山県のあらゆる地域から選手が集まり、その中には中学時代から硬式野球を始めている人もいて、自分との経験値の差を感じた。

※高校入学当時、硬式は未経験。

 

そして、先輩たちは中学時代に見てきた選手たちと明らかにレベルが違い、こんなすごい人たちが他の高校にもゴロゴロ居て、その中ででも毎年プロに行けるのは県内で1人いるかいないかの世界。僕がその一人になる可能性は限りなく0に近いとすぐに理解することができたからだ。

僕はプロ野球選手になるという夢と現実のギャップを目の当たりにした時、すんなりとプロ野球選手になる夢を諦めた。

 

そして、厳しい練習の日々が始まった。

 

当時、中学生だった僕は、野球に対して過信していた部分があった。監督からも期待されいい成績を残し、自分でもイケてると思っていた。それが自分のメンタルの弱さの象徴でもあった。

 

高校での練習が始まり、1年生の時は、基本的に球拾いやグラウンド整備、あとは基礎体力作りなどがメインで、先輩の練習後に少しだけ自分たちの練習があるくらいでした。

そして毎日、平日は放課後から夜の9時まで練習で、土日も練習か試合があり、年間300日くらいは野球をしていた。

確かその当時の県立高校野球部では、1番の練習時間だったと思う。

練習はとてもハードだった。

 

僕は、その膨大でハードな練習時間中いかに楽をするかや、監督に怒られないようなプレーをするか、そしてミスをしないようにするかばかり考えながら練習をこなすようになっていた。

 

もちろん上手くもなりたいし、レギュラーにもなりたい。そして試合に出たい。

こういった気持ちはあるにも関わらず、メンタルの弱い自分にとって日々の練習があまりにも厳し過ぎて、良い結果が出せないとすぐ弱気になり、自分の成長から目を背ける自己否定の思考と選択を無意識で繰り返していました。

 

そして、僕は自分が上手くなりプレーでいい結果を出すことを考えるよりも、同じポジションを争っている仲間がミスをして、監督の評価が下がり、自分が優位になることを考えるようになっていました。

 

その思考の結果どうなったかというと、自分が大切な試合の重要な場面で大きなミスをしてしまい、レギュラーから外されてしまいました。

 

思考は現実化するとは、まさにこのことだと思います。

 

もしも、その時の僕が、

自分の成長のため、何を磨く必要があるのだろうか?

仲間の成長の為に自分は何ができるのだろうか?

仲間の良い部分を自分に活かせる事はできないだろうか?

チームが勝つために自分が貢献できることは何だろうか?

こう考え毎日の練習に励んでいたのなら、結果は大きく変わっていたように思います。

 

そして、こういう思考を持った人間が、プロに進んでいっているのだと思います。

 

何事においても大事なのは、取り組む姿勢と気持ちの持ち方だと思います。

それが結果に大きく影響します。

 

高校時代の僕の野球に対する取り組む姿勢と気持ちは、大変未熟なものでした。

 

でも、高校時代に戻る事は、今の科学では不可能なので、あの時経験した事をこれからの人生に活かしていきたいと思います。