本質を見極める事で、自分の在り方や役割が見えてくる。

毎日blog、49日目の更新になります。

 

季節は、梅雨。

 

この季節は、家の中のいる時間が自然と長くなる。

 

その分、家の中を見渡すことが増え、普段では気にならないところが気になり、片付けしたり掃除をしてしまう。

だから、この季節はちょっとだけ家の中が綺麗になる。

 

普段何気なく見ている物でも、じっと見ていると今まで気が付かなかったことに気付けたり、同じように人でも、じっと観察していると、見たことのない一面を垣間見ることができたりする。

 

私たちは、物事や人に対して自分勝手な思い込みをしており、いつも同じ方向からでしかそれらを捉えようとしていない。

しかしそれは、間違いであり本質ではない可能性がある。

 

例えば、普段は誰に対しても愛想が無く、会話をしている時も無表情の一点張りの人に対して誰しもが冷たい人という印象を持つと思うが、その人が電車の中で見知らぬ人に席を譲っている光景を見た時、その人の印象は冷たい人から優しい人へと変わるはずです。

 

自分の思っていた印象とは違うその人の一面を見た時、自分の思い込みは間違っていたと気付きます。

 

この勝手な自分思い込みは、自分の過去の経験や持っている知識、情報、そして出会ってきた人達の影響から成り立っており、リンゴは赤いとか、メガネの人は真面目など、それらは、自分の思い込みが作り出した虚像で、それがその物や人の本質ではないということです。

 

リンゴは赤が一般的ですが、リンゴの原種は赤では無いかもしれませんし、実際赤色では無い品種のリンゴも存在してます。

 

そして、メガネの人が真面目とも限りません。

この思い込みは、特にテレビやゲームなどが普及していない時代の人が持っており、昔の人の目が悪くなる要素は、夜暗い中で本を読んだり勉強する事でした。

本を読んで勉強をしている人は、目が悪くなりやすく眼鏡をしている傾向があった。

その結果、眼鏡をしている人=真面目という印象を持たれています。

今もその名残は残っています。

 

このように、その時代や自分の生活環境、出会ってきた人の影響によって自分の思い込みは形成され、物事や人の本質に対し、無意識で思い込みというフィルターをかけてしまっています。

 

どうすれば物事や人の本質を見極められるようになるかというと、じっくりそれを観察し色々な側面を観測し、違いを見つけ出すことです。

 

そうすることで、その物事や人の本質の部分が少しずつ明るみになってきます。

 

人の本質の部分とは、その人が意識的に行っている領域ではなく、無意識的な領域で行っている部分のことです。

その無意識の瞬間を見極めるためには、普段からその人を観察していなければ、見極める事はできません。

その本質的な部分が見えた時、その人に対する思い込みは変換され違った見方が出来るようになります。

そして、その人に対する自分の見方が変わった時、その人に対する自分の在り方にも変化が現れます。

苦手意識を持っていた人に対して、笑顔を向ける事が出来るようになるかもしれませんし、その人に対し自分から声を掛けることの、抵抗感がなくなるかもしれません。

 

物事や人に対する、考え方は人それぞれで、それは全て自分の思い込みでしかありません。

その思い込みを変えない限り、人との関係性は変わらないし、自分ができないと思っていることは、いつまでたってもできるようにはなりません。

 

できないと思っている事でも、なぜそれができないのか?それができている人は、なぜそれができるようになったのか?それを知ることで、自分の思い込みは変換され、自分でもできるかもと思えた時、実際にやってみるとできたりするものです。

 

物事や人と向き合うとは、じっくりと観察するという事です。

そしていつもと違う側面を捉える事で、その本質が見えてきます。

 

そうすれば、今まで見えなかった新しい景色を見る事ができ、自分の在り方を変化させることができるのです。