人の成長はいつ終わる。

 

毎日Blog、56日目の更新。

 

僕はよく、人の成長について考える事がある。

 

成長するとはどういう事だろう?

 

人が成長する目的って何だろう?

 

自分の成長を願う人と成長を拒む人の違いは何だろう?

 

僕自身は、毎日成長したいと思っている。

 

だから、Blogを書き続けるし、読書もする。

仕事の中で自分が学んだ事や気付いたことをノートに書き、自分の経験値として蓄えてもいる。

 

もし僕が、自分の成長を放棄したらどうなるか考えてみた。

 

成長を放棄すると、僕は生きていく上で必要最小限の行動しかとらなくなると思う。

 

食事、睡眠、食べるための労働、これをひたすら毎日繰り返すのみ。

人間が他の生き物と同等の本能だけで生きている動物であれば、これで十分だと思うが、人間には理性と知性が備わっている。

 

理性があることで自分の感情や思考を正しく把握することができ、知性があることで、物事や人、状況などの違いを認識し、それにあった適切な行動ができる。

 

人間には理性と知性が、標準装備として備わっている。

子供の頃は、殆どが本能での行動だが、大人に向かうにつれて理性と知性での行動の割合が大きくなる。

僕が思うに、人が成長を放棄するというのは、人間しか持っていない理性と知性を放棄し、他の動物と同じように本能だけで生きていくという事だと思う。

 

人間として、それで本当の幸せを感じる事ができるのだろうか?

 

むしろ、成長しないという事は、人間でしか感じられない幸せをも放棄している状態だと思う。

 

僕がもし自己成長を止めたなら、自分の存在価値を見出せなくなり、生きていくのが辛くなるだろう。

 

全ての人間が、僕と同じ考え価値観を持っているわけではないが、少なくとも常に自分を成長させたいと思い日々生きている人は、僕と似たような価値観を持っているに違いない。

 

過去の自分を振り返ると、常に成長意欲は持っていたように思う。

時に、自分が成長できていないなと感じる時は、そんな自分が嫌になったし、成長できない自分を否定していたように思う。

 

僕は、理性で自分の成長意欲やそれに対するモチベーションを感じ取り、知性を働かせ自分がどうすれば成長できるかを考え行動している。

 

そして、僕の成長の目的は、幸せを掴むことである。

 

人によって幸せの形は違うけれど、人の成長は幸せを掴むためにあると考えている。

 

幸せとは、そう簡単には手に入らず、そして目に見えない心で感じるものでもある。

 

お金があることが幸せという人は、お金という物に幸せを見出しているのではなく、

お金があることで得られる安心感やお金を使って得られる満足感に幸せを感じているのである。

これも幸せの形のひとつだと思う。

 

しかし、本当の幸せはお金だけでは手に入らない。

 

本当の幸せとは、自分の夢を持ち、その夢を掴もうと成長するプロセスの中で得られる

満足感、充実感、達成感だと考えている。

 

人生のゴールは死である。

 

その時、良い人生だったと思えば、それが一番の幸せである。

 

そして、後悔のない幸せな人生にするには、死を迎えるその時まで成長を止めることなく生き続ける事なのだと思う。