自分という人間を知ることが、価値ある人生への近道である。

 

毎日Blog57記事目の更新。

 

僕は、周りの人の目を気にして生きてきた。

 

周りの人にどう思われているのだろうか?

 

周りの人に嫌われるようなことをしていないだろうか?

 

鬱陶しい奴だと思われていないだろうか?

 

自分の存在は、本当に必要なのだろうか?

 

僕は、よくこのようなことを自分に問いかけ、そして人に対して疑心暗鬼になり、悩み、自分に自信がなくなり、僕という人間の存在を悲観的に捉えていた。

 

僕は今でもそうだが、自分に自信があると断言できる程持てていない。

心から自分で自分のことを信じ切れていない。

 

ただ、以前の僕との違いがあるとするなら、それは自信があるように振舞えるようになったことだ。

周りの目を気にしてきた分、どうゆう風に振舞えば自信があるように見えるのかは分かってきた。

それ以外は、そんなに変わっていない。

 

僕は自分に自信が持てないから、僕を褒めて認めてくれる人、僕の成長を願い応援してくれる人、そして僕を必要としてくれる人には心を開くことができる。

 

しかし、それとは逆の立ち位置に居る人間には、心を開かないし自分から距離を縮める事はない。

なぜかというと、僕は僕自身が傷つくのが怖いからである。

傷ついた時、今以上に自分が自分のことを否定し嫌いになってしまいそうで怖いからだ。

 

そんな恐怖心から、僕は自分が傷つくことから回避するため、人との距離を置き、自分から離れていく。

 

僕は、自分がそんな性質を持った人間だという事に最近気づいた。

過去の僕の記憶を辿っていき、見つけることができた知らなかった自分。

 

自分の無意識の行動や行動を選択する判断基準は、自分の過去の経験がベースとなっている。

今の自分を知るには、過去の記憶を遡り、そのとき思った事や感情を思い出し、なぜそう思い、感じたのかを客観的に分析してみる。

 

そうする事で、今の自分がより鮮明に見え、自分という人間の理解度が深まる。

 

しかし、自分という人間を知るのは怖い。

自分が知らない自分に出会う事への恐怖心がある。

あと、自分が自分のことを一番分かっているつもりではあるが、分かっていないという事実を、自分がどこまで受け止める事ができるのか分からない。

それも不安である。

 

本当の自分を知ることで、今の自分が自分でなくなってしまうのではないか?

そんなことも考えてしまう。

 

自分と向き合うという事は、簡単なようでとても勇気のいることで、かなりのエネルギーを要する。

しかし、この行為は、人が生きていく中で一番大切だと思う。

 

人生の目的とは、幸福を掴む事である。

 

幸福を掴むためには、自分にとっての幸福とは?を知っていなければ掴めない。

 

自分の幸福を知り、自分の手でその幸福を掴むために人生は存在している。

 

そして、それを知るのは簡単ではなく難問である。

 

しかし、必ず答えは存在する。

 

人生を諦めないとは、自分の幸福を掴むことを諦めないという事である。

 

諦めた時点で、その人の人生は終わりである。

 

人類すべての人間がこの難問に取り組み始めた時、世界に平和が訪れるのだと思う。